テーマ《明解言語学辞典を読む》の個別記事,第1弾。今回は,「IPA(国際音声記号)」について。そもそもブログ上でIPAを表示させたいときに,どんなフォントを使うかという問題を適当にしてしまっていたので,この機会にしっかり考えてみる。
- 目次-CONTENTS-
今回の目的
この記事の目的は,ブログ上での,IPAの表示に適したフォントを探すこと。結論だけ書いても仕方ないので,比較の過程もすべて載せておく。
国際音声学会公式サイトの,フォントについてのページ「IPA Fonts|International Phonetic Association」によれば,IPAにどんなフォントを使うにせよ,以下のポイントに留意したほうがいいとのこと。
- ɪのセリフがちゃんと表示されること
- ǀ(歯吸着音)が,小文字のL(l)と区別できること
- ⱱ(唇歯はじき音)が文字セットに含まれていること
- 字母の上下に置かれた補助記号およびタイ(U+035CとU+0361)の配置がきちんと表示されること
この条件に加えて,ブログ上で使うならWebフォントが理想的である。しかし,いろいろな条件をすべて満たすのはなかなか難しいと思うので,最終的にいくつかのフォントを組み合わせて使っても良い,と判断して進めることにした。
今回比較するのは全部で9種類のフォント。
- まずGoogle FontsからFira Sans Source Sans 3 EB Garamond。これらはGoogle Fontsのサイトからコードをコピーして,Webフォントとして利用する。
- 次に,国際音声学会の公式サイトでも紹介されているSIL International制作のフォントから,Andika Charis SIL Gentium Plus。こちらはSILのサイトからダウンロードしたものを,WOFF(Web Open Font Format)でWebフォントとして利用する。
- 最後にArial Times New Roman Segoe UI。これらはWebフォントではないため,インストールされていないデバイスではうまく表示されない可能性がある。
これら9種類のフォントを,これ以降の見出しで比較していく。
なお,SIL International制作のフォントは,Google Fontsからも利用できる。ただし,SIL Internationalのサイトからインストールできる"オリジナル"と比べて,"Google Fonts版"は表示できる記号の種類に制限があるので注意。
IPAの字母・記号リスト
今回選んだ9種類のフォントについて,IPAで使われる字母・記号を「子音」「母音」「補助記号」「超分節音」の四つに分けて表にまとめた。切り替えボタンを押すことで,表のフォントを切り替えられる。
そのフォントで正しく表示されるものは背景を白色に,正しく表示されない(代替フォントになる)ものは背景を灰色にした。
各フォントの特徴については「#フォント別の特徴」を参照。補助記号と超分節音については「#IPAとUnicode」に補足がある。
切り替えボタン
子音
- p
- b
- t
- d
- ʈ
- ɖ
- c
- ɟ
- k
- ɡ
- q
- ɢ
- ʔ
- m
- ɱ
- n
- ɳ
- ɲ
- ŋ
- ɴ
- ʙ
- r
- ʀ
- ⱱ
- ɾ
- ɽ
- ɸ
- β
- f
- v
- θ
- ð
- s
- z
- ʃ
- ʒ
- ʂ
- ʐ
- ç
- ʝ
- x
- ɣ
- χ
- ʁ
- ħ
- ʕ
- h
- ɦ
- ɬ
- ɮ
- ʋ
- ɹ
- ɻ
- j
- ɰ
- l
- ɭ
- ʎ
- ʟ
- ʘ
- ǀ
- ǃ
- ǂ
- ǁ
- ɓ
- ɗ
- ʄ
- ɠ
- ʛ
- pʼ
- ʍ
- w
- ɥ
- ʜ
- ʢ
- ʡ
- ɕ
- ʑ
- ɺ
- ɧ
- t͜s
- t͡s
母音
- i
- y
- ɨ
- ʉ
- ɯ
- u
- ɪ
- ʏ
- ʊ
- e
- ø
- ɘ
- ɵ
- ɤ
- o
- ə
- ɛ
- œ
- ɜ
- ɞ
- ʌ
- ɔ
- æ
- ɐ
- a
- ɶ
- ɑ
- ɒ
補助記号
- n̥
- s̬
- tʰ
- ɔ̹
- ɔ̜
- u̟
- e̠
- ë
- e̽
- n̩
- e̯
- ɚ
- b̤
- b̰
- t̼
- tʷ
- tʲ
- tˠ
- tˤ
- t̪
- t̺
- t̻
- ẽ
- dⁿ
- dˡ
- d̚
- ɫ
- e̝
- e̞
- e̘
- e̙
超分節音
- ˈa
- ˌa
- eː
- eˑ
- ĕ
- |
- ‖
- ka.ki
- a‿i
- e̋
- é
- ē
- è
- ȅ
- ˥
- ˦
- ˧
- ˨
- ˩
- ꜜ
- ꜛ
- ě
- ê
- e᷄
- e᷅
- e᷈
- ˩˥
- ˥˩
- ˧˥
- ˩˧
- ˧˦˨
- ↗
- ↘
この表では,[ɚ](r色のシュワー)にU+025Aを,[ɫ](暗いエル)にU+026Bを使っている。そのほかの記号つき字母は,"字母"と"記号"を別々に組み合わせたもの。詳しくは「#IPAとUnicode」を参照。
また,[ɡ](有声軟口蓋破裂音)にはU+0261を使用した。
フォント別の特徴
フォント別にその特徴をまとめていく。
字母・記号の一覧は先にまとめたので,ここではUnicodeのブロックや字母・記号の形などから,特に確認したほうが良いと思うものを抜粋してリストアップした。全体像は「#IPAの字母・記号リスト」を,Unicodeについては「#IPAとUnicode」を参照。
それから「IPAの表示に問題があるかどうか」「そのフォントならではの特徴」「似ている字母の区別」の3点についても触れておく。先にまとめた表では分かりづらい[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)の区別に注目。
Fira Sans
サンセリフ体 Webフォント
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音はほとんど問題ないが,補助記号・超分節音はほとんど対応していない。[ɚ](r色のシュワー:U+025A)で,シュワーと記号がきれいに繋がらない点が気になる。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)は一応区別できる。小文字のエルには下部に小さな跳ねがある。
- 「Fira Sans - Google Fonts」(Google Fontsのページ)
Source Sans 3
サンセリフ体 Webフォント
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音はほとんど問題ないが,補助記号・超分節音はほとんど対応していない。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)は一応区別できる。小文字のエルには小さな跳ねがある。
対応している範囲や似ている字母の区別…といった点ではFira Sansに近いが,こちらは少し線が細めである。
- 「Source Sans 3 - Google Fonts」(Google Fontsのページ)
EB Garamond
セリフ体 Webフォント
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音はほとんど問題ないが,補助記号・超分節音はほとんど対応していない。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)の区別は,セリフの有無と,線の太さによる。音節主音を表す記号が,字母の真下から少しずれる([n̩])のが大きな問題か。
- 「EB Garamond - Google Fonts」(Google Fontsのページ)
Andika
サンセリフ体 Webフォント
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音・補助記号・超分節音すべて問題なし。ただ,このフォントでは母音の[a]と[ɑ]が同じになってしまうので,これを区別する必要がある場合には不向き。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)の区別は,長さの違いによる。小文字のエルに比べて,歯吸着音のほうが少し長い。
- 「Andika」(SIL Internationalのページ)
Charis SIL
セリフ体 Webフォント
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音・補助記号・超分節音すべて問題なし。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)は,セリフの有無・線の太さ・字母の長さの違いがあり区別しやすい。
- 「Charis SIL」(SIL Internationalのページ)
Gentium Plus
セリフ体 Webフォント
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音・補助記号・超分節音すべて問題なし。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)は,セリフの有無・線の太さ・字母の長さの違いがあり区別しやすい。
対応状況や似ている字母の区別という点ではCharis SILに近いが,こちらは少し線が細めである。
- 「Gentium」(SIL Internationalのページ)
Arial
サンセリフ体
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音・補助記号はおおむね問題なし。超分節音のうち,切れ目がないことを示す記号([a‿i])と,トーンとアクセントに使う矢印([↗][↘]には対応していない。
[l](小文字のエル)と[ǀ]の区別は難しい。セリフがなく長さも変わらないため,ほとんど同じに見える。
Times New Roman
セリフ体
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音・補助記号には問題なし。超分節音のうち,トーンとアクセントに使われる矢印[↗][↘]には対応していない。切れ目がないことを示す記号([a͜i]が少し長め。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)の区別は,セリフの有無と線の太さによる。
Segoe UI
サンセリフ体
- ʔ
- ŋ
- ⱱ
- β
- ð
- l
- ɭ
- ǀ
- t͜s
- ɪ
- a
- ɑ
- n̥
- tʰ
- n̩
- t̪
- dⁿ
- d̚
- a‿i
- ˥
- ꜜ
- ꜛ
- ↗
- ↘
子音・母音・補助記号は問題ない。超分節音のうち,切れ目がないことを表す[a‿i]と,トーンとアクセントに使われる矢印のうち,ダウンステップ([↘])に対応していない。二つの矢印の対応状況が異なるので,両方使いたい場合は使いにくいかもしれない。
[l](小文字のエル)と[ǀ](歯吸着音)の区別は長さによる。歯吸着音のほうが長く,また若干細めなので,両者は比較的区別しやすい。
IPAとUnicode
IPAで使う字母・記号は,Unicodeでは以下のブロックに含まれている。フォントが対応していない字母・記号がある場合,その字母・記号を含むブロックはまるごと対応していない可能性がある。
ブロック名にWikipedia日本語版または英語版へのリンクを貼っておくので,より詳細な情報はそちらから。
基本ラテン文字 0000 - 007F |
基本的なラテン文字のアルファベット(aからzまでの26字) |
---|---|
ラテン1補助 0080 - 00FF |
æ, ð, øや,â, éなどのダイアクリティカルマークつき字母 |
ラテン文字拡張A 0100 - 017F |
ħ, ŋ, œや,ā, ĕなどのダイアクリティカルマークつき字母 |
ラテン文字拡張B 0180 - 024F |
吸着音のǀ, ǃ, ǂ, ǁや,ǎ, ȅなどのダイアクリティカルマークつき字母 |
IPA拡張 0250 - 02AF |
ɐ, ɑ, ɔ, ɚ, ɯ, ɴなど,IPAで使われる多くの字母 |
前進を伴う修飾文字 02B0 - 02FF |
tʰやtʷなど,字母の右上につける記号および˥, ˧などの声調を表す記号,超分節音のˈとˌ(強勢)およびːとˑ(長さ) |
合成可能なダイアクリティカルマーク 0300 - 036F |
多くの補助記号,一部の声調を表すダイアクリティカルマークなど |
ギリシア文字およびコプト文字 0370 - 03FF |
β, θ, χ |
合成可能なダイアクリティカルマーク補助 1DC0 - 1DFF |
声調を表すe᷄, e᷅, e᷈のダイアクリティカルマーク |
ラテン文字拡張追加 1E00 - 1EFF |
ẽ |
一般句読点 2000 - 206F |
‖(大グループ)と,切れ目がないことを表す記号‿ |
上付き・下付き 2070 - 209F |
dⁿのように右上につけるn |
矢印 2190 - 21FF |
トーンとアクセントの,↗(全体的上昇)と↘(全体的下降) |
ラテン文字拡張C 2C60 - 2C7F |
ⱱ(唇歯はじき音) |
声調修飾文字 A700 - A71F |
トーンとアクセントの,ꜜ(ダウンステップ)とꜛ(アップステップ) |
ところで,IPAで使う記号つきの字母の中には,2種類の表示方法が存在するものがある。例えば,[ɚ](r色のシュワー)は,別々の字母と記号[ə](U+0259)と[˞](U+02DE)を組み合わせるか,その二つが最初から合体した[ɚ](U+025A)を使うこともできる。
別々に組み合わせるのと,最初から合体したものを使うのでは,見た目が大きく異なる場合がある。特に[ɫ](暗いエル:U+026B)はかなり差が出るので,最初から合体したものを使った方が良い。また,[ɚ]もできれば最初から合体したものを使った方が良いと思う。
しかし,あらゆる記号つきの字母に,"最初から合体した字母"用のコードが割り当てられているわけではない。また,記号が同じでも,記号つきの字母は違うブロックに含まれていたりする。例えば,チルダつきの小文字のa(ã:U+00E3)はラテン1補助のブロックに含まれるが,チルダつきの小文字のe(ẽ:U+1EBD)はラテン文字拡張追加のブロックにある。
とはいえ基本的には,この辺りの事情は,最初に触れたr色のシュワー([ɚ])と暗いエル([ɫ])以外あまり気にする必要はないと思う。ただ,「なんか表示がおかしい」と思ったときに解決のヒントになるかもしれないので,ここに補足として残しておく。
結論
最終結論としては,サンセリフ体とセリフ体で,以下の2種類のクラスを作って利用することにした。このブログでは普段の文章を書くときサンセリフ体のフォントを使っているので,IPAも基本的にはサンセリフ体で書きたい。サンセリフ体では区別がつきにくい字母([l]と[ǀ]など)をハッキリ区別したいときにはセリフ体を使う。
サンセリフ体
.ipa1 {
font-family: "Source Sans 3", "Arial", "Calibri", "Yu Gothic", "Andika", sans-serif;
}
セリフ体
.ipa2 {
font-family: "Charis SIL", "Times New Roman", "Cambria", serif;
}
ここまでで比較してないフォントについて軽く解説すると…。
Calibri
Arialが対応していない矢印(↗,↘)に対応しているので採用。[ⱱ](唇歯はじき音)に対応していないため,IPAの表記には不向きかも。
Yu Gothic
Arialが対応していない「切れ目がない」を示す記号(a‿i)に対応しているので採用。[ⱱ](唇歯はじき音)に対応していないため,IPAの表記には不向きかも。
Cambria
Times New Romanが対応していない矢印(↗,↘)に対応しているので採用。比較の対象には含めなかったが,IPAの範囲で対応していないのは[ꜜ][ꜛ][a‿i]だけなので,使えるかもしれない。
この3種類のフォントを比較対象に含めなかったのは,まず「ArialやTimes New Romanを補完できる」ことに気づいたのが遅かったのと,Webフォントではないので使いにくいかなと思ったから。作業途中でSegoe UIが自分のスマホで表示できないことに気づいて,ちょっと不安になってしまった。
記事の最初のほうでも書いたとおり,今回はいくつかのフォントを組み合わせて使っても良いという判断をした。対応していない字母・記号があっても,それを補える別のフォントと組み合わせて使えば良いので,もうあとは好みの問題である。
個人的にはセリフ体よりもサンセリフ体が好きなので,サンセリフ体で使い勝手が良さそうな組み合わせをメインにした。AndikaはIPA用としては優先順位が下がるものの,ダイアクリティカルマークへの対応が良いので,ベトナム語用に使おうかなと思う。
今回調べたこと,比較のために作った表などは,今後改善したくなったときにもきっと役立つはず。ひとまず,あまりにも時間をかけすぎて肉体的・精神的疲労が半端ないので今回はこの辺りで。
参考文献
- 『明解言語学辞典』三省堂,2015年,斎藤純男,田口善久,西村義樹(編)
- 「Full IPA Chart | International Phonetic Association」2024/04/17閲覧
- 「IPA Font | International Phonetic Association」2024/04/17閲覧